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母で妻で時々ワタシな365日 kenkota.exblog.jp

闘う一人三役


by kaokenken
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むかしばなし

私はおばあちゃんに育てられた。
衣・食・住の世話全般から遊び、お出かけ、しつけまで、すべておばあちゃん担当だった。
唯一、教育には大嫌いなおばさんが口を出してきていたけど・・・
母も一緒に住んでいたけど、仕事してたから一緒に遊んだりごはんを食べた記憶がない。
父は幼いときに離婚していたから、ぼんやりとしたイメージしかない。
離婚後は、母の兄である伯父の養女になり、戸籍上の父は出来たけど、やはり父らしいことをしてもらった記憶は少ない。
代わりに遊んでくれたのはおじいちゃんだったかな?

母らしいこと、父らしいことって、感じ取る子供にとってそれぞれだろうから、定義はないと思う。
私にとっての母らしいことは、一緒にお菓子を作ること。
父らしいことは、自転車の練習をすること。
お菓子つくりをしたことは、小5の時に一度だけあった。
仕事に行く前に、私が作っていたのをちょこっと手伝ってくれた程度だったかな。
それでも、私の記憶の中には鮮明に残っている。
ストロベリーパイを作ろうとしていた。
大失敗だったんだけど、一緒に作ったことが嬉しくて、結果なんてどうでも良かった。

自転車は、三輪車の時は手伝ってもらった覚えが何となく残ってる。
でも、それが実父なのか伯父なのかおじいちゃんなのか、その他の誰かなのか、全くわからない。
補助輪をはずしてからの練習は、毎日1人でやった。
近所の家の壁や電柱に激突したり、坂でコケたり、ハンドルもカゴもぐにゃぐにゃに曲がったこともあった。焦って真っ赤になりながら直したっけ・・・
さすがにチェーンが外れた時は、通りすがりのおっちゃんが直してくれた。
それでいつの間にか乗れるようになった。
公園に行くと、他の友達はみんなお父さんと練習していて、すごく憧れた。
でも、別にいいや、あれこれ言われるのは面倒だ、とも思った。
あまのじゃくというか・・・

kentaの自転車の練習に付き合っていて、ふとそんなことを思い出した。

子供は、親がいなくても育っていける。
それは物理的に間違いない。
でも、心の中ではぽっかり穴が開いたまんま。
幼いときに親にもらうはずだったたくさんの愛情を、今私はダンナや子供たちに求めている。
必要とされていない、想われていないのではと思うと、とても不安で寂しくて怖くなる。
反面、誰にもかまって欲しくない、1人でいたいと思うときもある。
ちょうど、1人で自転車の練習をしていた時のように。
なんだろうか、このこんがらがった精神構造は;

今は、親に愛されていると思う。
でもそれは、孫がいるからなのか?なーんてひねくれたことを思ってしまったり・・・
あーあ、素直でまっすぐな人間になりたい!!
by kaokenken | 2007-04-15 10:51 | 自分